アバクロンビー&フィッチの歴史

アバクロ広告写真 今では全く想像もつきませんが、20世紀初頭のアバクロンビー&フィッチ社(1892〜)(以下A&F社)は、英国の人気アウトドア(探検や旅行用品取扱)専門店でした。顧客は、米国第26代大統領セオドア・ルーズベルトや、同38代大統領ジェラルド・フォードといった、国家的に影響力のある人物ら。ほか、飛行家のリンドバーグやエアハート、女優のキャサリン・ヘップバーン、グレタ・ガルボ、俳優のクラーク・ゲイブル、作家のジョン・スタインベック、アーネスト・ヘミングウェイなど、多くのセレブが同ブランドを愛用していました。
 A&F社はデヴィッド・アバクロンビーとエズラ・フィッチの共同経営でしたが、二人の方向性は序所に異なり始めます。デヴィッド・アバクロンビーは保守的な現状維持派。一方のエズラ・フィッチは空想家で、拡大にこそ、ビジネスの未来があると確信していたのです。顧客層をもっと一般に広げることで、事業拡大を図ろうとしました。ビジネスが好調な中でも、二人は頻繁に口論を繰り返すようになります。
 1907年、アバクロンビーは自身の持ち株をフィッチに売り、アウトドア商品の製造に集中しました。一方ビジネスを引き継いだフィッチは、自由に経営を楽しみます。事業を拡大するため、通信販売カタログにも乗り出しました。アウトドア衣料品、キャンピング道具、記事や相談コラムなどを含む、456ページの立派なカタログを、50,000部発送。一時は、このための費用が元で破産しかけますが、最終的には利益を生む結果となりました。
 1913年にはニューヨーク五番街のすぐ脇に出店。ちなみに、ニューヨークで女性に向けたスポーツ衣類を出したのは、A&F社が初めてだったようです。
 1917年にマディソン街へ移動し、当時、世界最大規模のスポーティング・グッズ専門店を展開しました。
 1928年にエズラ・フィッチは引退。その後も店舗は増え続け、事業は拡大し続けました。ですが1960年代後半、財政難に陥り、1977年に破産してしまいます。
 1977年、スポーティング・グッズの小売業者であるオッシュマンズに買収されますが、それでも尚、経営難は続きました。1988年に今度はLimited Brands(リミテッド・ブランズ)がA&F社を買収し、ブランドの再生に乗り出します。ここからの10年間、最高経営責任者マイケル・ジェフリーズによって、A&Fは現在のティーン・ブランドへと再建されていきました。ブランドへのジェフリーズの影響力は絶大で、2005年5月30日のBusiness Week誌には「アバクロンビーの最大の弱点は、そのすべてがマイクだ、ということ」、というアナリストの言葉が掲載されたほど。そして1990年代初頭、ティーンや18〜24歳の大学生をターゲットに、アメリカ中の高級モールに直営店の設置を開始。綿密なマーケティングから、セクシーなカジュアルウェアとしてのブランディングを確立させました。そして1996年に上場、1998年にリミテッド・ブランズから独立分離しました。

 2005年11月、ニューヨーク五番街に旗艦店をオープンしました。2006年1月にはカナダに進出。ちなみにカナダにはまだ数店舗しかないため、国境沿いワシントン州(Bellingham)にあるBellis Fair Mallに人が押し寄せるそう。特にホリデーシーズンは、アバクロンビー&フィッチを買い求めるカナダ人のおかげで、それなりの集客が見込めるそうです。A&Fには国境を越えてでも、欲しいほどのブランド価値があるのでしょう。海外展開については、海外展開のページへどうぞ。







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